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青森菱友会

七戸立

作: 竹浪 比呂央 先生

陸奥国の民は遥か昔より馬を尊び、馬と生活を共にしてきた。

なかでも七戸(青森県七戸町)は今も昔も名馬の産地である。

七戸立ちとは七戸産の馬のことを指す。

この呼称を一躍世に知らしめたのは、かの有名な「宇治川の先陣争い」で梶原源太景季を負かし、佐々木四郎高綱に先陣の功をもたらした天下一の名馬、生唼。

元より源頼朝の愛馬で、気性が荒く、馬でも人でも噛みついて傍に寄せないことからこの名が付けられた。

よく肥え逞しく大きな体躯を持ち、轟轟と荒れ狂う宇治川をものともせず一直線に渡り切ったと瞬く間に名が知れ渡ると、武士らは続々と七戸立を求めた。

七戸に住まう人々は更に、生唼のごとき野性味あふれる悍馬の調教に励み、いまなお数多くの名馬を輩出し続けている。

良馬産出祈願を以もって、馬頭観音の御加護を得た七戸立調馬図をここに顕す。

2016日本通運ねぶた実行委員会

茨木童子と渡辺綱   千葉 作龍 先生
 平安時代、魑魅魍魎の蠢く京の都。

 源頼光・四天王の一人 渡辺綱は羅生門に夜な夜な現れては人々を襲い恐れられていた茨木童子という鬼人の腕を切り落とした。

 綱は鬼人の崇りを鎮めるため七日間の物忌みをしていると伯母に化身した茨木が訪ね来て鬼人の腕を見せろとせがむ。しぶる綱であったが仕方なく腕を取り出すや否や茨木は突然正体を現し腕を奪い取る。

 綱は愛刀・髭切丸を抜き切りかかるも茨木は屋根の破風を蹴破って天空の彼方へ飛び去った。


2016日本通運

2016マルハニチロ侫武多会

海神と山幸彦 手束茂樹 先生

兄の海幸彦(うみさちひこ)から借りた釣針を無くした弟の山幸彦(やまさちひこ)は、どうすることもできず困り果て、海岸に座り込んでいた。そこへ突如現れた塩椎神(しおつちのかみ)の教えにより、深海に住む大海の主、海神(わだつみ)の宮を訪ねた。
海神は大いに歓迎し、娘の豊玉毘売(とよたまひめ)と結婚させ、山幸彦も時を忘れて日々を楽しんだ。
数年後、深いため息と共に悩みを打ち明けた山幸彦を見た海神は、全ての魚達を集めて調べることにした。すると、長い間喉の痛みを訴えていた大鯛から、例の釣針が出て来たのである。
鰐鮫(わにざめ)に乗って地上へ帰る山幸彦に、海神は釣針と、潮の満干を司る霊力を持った『潮盈珠(しおみつたま)』と『潮乾珠(しおひるたま)』を授けた。
釣針を返しに兄のもとへ戻った山幸彦だが、海幸彦は素直に受け取らず争いになる。
山幸彦は海神から貰った珠の効力で降参させ、その後は助け合い仲良く暮らしたのであった。
生命の源である、広大な海。最近は環境汚染が進みさまざまな弊害も起こっている。
この状態が続けば、やがて我々は海神の怒りに触れるであろう。
美しい海を、地球を未来に残すため、これからも自然の大切さを考えていきたい。


2016マルハ

2016青森自衛隊ねぶた協賛会

大元帥明王  有賀 義弘 先生

 大元帥明王は古代インド神話に登場する鬼神アータヴィカに由来し、元は悪鬼神とされたが大日如来の功徳により善神へと変じた。 

 明王の最上尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「すべての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」といわれる。 

 怨敵調伏、必勝祈願、国家鎮護に絶大な功徳を持つと信じられ、宮中では古くから「大元帥法」という修法が行われていた。

 その力は護国防衛、敵国粉砕だけにとどまらず、反乱や疫病えの平定い、雨乞いや天候の変化にまで及ぶ。        
 また、陸海軍の最高位の称号をこの明王にならって「元帥」「大元帥」と呼ぶようになったともいわれている。
2016自衛隊

2016東北電力ねぶた愛好会

北方の王者 「藤原秀衡」 京野 和鴻 先生
 時は現在から900年程前の平安時代末期、藤原氏は、百年に渡って繁栄を極め、平泉(現在の岩手県奥州市)は平安京に次ぐ日本第二の都市となりました。

 藤原秀衡は、平泉文化を大きく華はなひらかせた人物で、清衡、基衡から受け継いだ平和な理想郷の意志と厚い信仰心を持ち、源平合戦の折には、平氏、後白河法皇、源氏のいずれにもつかず中立を保ち、陸奥(現在の青森、岩手、宮城、福島県)を守ってきました。

 しかし、平氏を滅ぼして勢力を拡大してきた鎌倉の源頼朝が陸奥を手中にしようと狙ってきましたが、藤原秀衡は源頼朝の命令を忠実に実行するものの、もはや鎌倉との衝突を避けられないと考え、兄 頼朝と対立して追われた源義経を頼朝との関係が悪化する事を覚悟で受け容れました。

 実質的な戦いには至らなかったものの、頼朝からの引渡要求を拒み続けた強い意志の持ち主であった、
北方の王者「藤原秀衡」をねぶたで再現したものです。

 この東北を守り続けた藤原秀衡の姿に、地域の復興・発展の思いを重ね合わせ、第49回目の出陣をいたします。


2016東北電力

2016ヤマト運輸ねぶた実行委員会

俵籐太と竜神  北村 隆 先生
 平安時代中期、瀬田の唐橋の下に棲む竜神は大百足に悩まされていた。

 そこへ通りかかった田原籐太秀郷の豪胆を見込みこんで百足退治たいじのため龍宮へ案内する。

 竜神に頼まれ三上山の大百足を退治した秀郷はお礼として慈尊出世を告げる名鐘と米の尽きることのない米俵や名剣を贈られた。こののち田原籐太は俵籐太といわれる。

 名鐘は三井寺へ納められ「三井の晩鐘」といわれ、名剣は「蜈蚣切」の名で宝刀として伊勢神宮に所蔵されている。

 いわゆる大人の龍宮伝である。

2016あおもり市民ねぶた実行委員会

陰陽師、妖怪退治 北村 麻子 先生
陰陽師 それはこの国の「守り人」とも言われている。
陰陽師とは、古代の日本に存在した呪術、占術「陰陽道」を用い、吉凶を占い幻を現し、時には呪いや鬼さいも操ったと言われています。
陰陽師が最も活躍したのが平安時代である。その平安時代は平安とはうらはらに闇と迷信が支配し、怪異や天変地異、物の怪や怨霊が世を乱すと思われていた。
人々は神、鬼、精を「もの」と呼び恐れ、「もの」は人に取り付き、ある時は疫病を流行らせた。
どこからともなく現れ、人々に不幸をもたらす妖怪変化。それらと戦い、あるいは前兆を読み、不浄を取り除くことが陰陽師の役割だった。
人々は彼らを畏怖の念をもって「陰陽師」と呼んだ。
このねぶたは、陰陽師が霊符を用い、魑魅魍魎を退治している場面である。
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