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安穏無事 火消の纏

                消防第二分団ねぶた会・アサヒビール
安穏無事 火消の纏
                  立田 龍宝 先生

平成の時代が幕を閉じ、新たな元号「令和」とともに新たな時代が始まった。平成は地震・豪雨など甚大な被害が多く、尊い命が奪われた。

 消防団は地域に根差した組織で、江戸時代には「町火消し」といわれ庶民の安全を守り 火災が発生すると粋な男たちが駆け付け、消火作業に当たった。

 そこでは纏を振る男伊達な姿、鳶口や刺又を持ち、延焼を防ぐために家屋を壊し庶民の安穏無事を守ったのである。

 今年度消防第二分団ねぶた会・アサヒビールはねぶた出陣七〇回目を迎え、これからも地域の安全を守ると共に、青森ねぶた祭の継承と更なる発展に貢献し、令和の時代が安穏無事であることの願いを込めたねぶたである。

北の守護神「玄武と毘沙門天」

                      青森自衛隊ねぶた協賛会
北の守護神「玄武と毘沙門天」
                  有賀 義弘 先生

毘沙門天は仏教で護法神として、四天王の一尊として数えられる。

 独尊では、毘沙門天、四天王としては多聞天とも呼ばれ北の方角をつかさどる守護神である。また、福や財をもたらす神としても信仰され、七福神の一人とされてきた。
 玄武は、中国の伝説上の神獣で四神の一柱として北の方角を守護する。一般的に亀の体に蛇が巻き付いた姿、或いは尾が蛇になっている亀の姿で描かれる。その姿から厳しい状況の中に、強い安定感を生み出し運気を切り開くといわれる。

 このねぶたは、毘沙門天と玄武がともに北を守護する姿をあらわしており、困難な状況下にも負けずに北を守る青森駐屯地の隊員の姿を重ね合わせたものである。

一角仙人と龍神

                   パナソニックねぶた会
一角仙人と龍神
             北村 蓮明 先生

 昔々、天竺のハラナ国に額に一本の角を持つ男がいた。幼い頃より人々に一角と呼ばれ、鹿の胎内から生まれたと噂されていた。やがて仙境にこもり、修行の末にすさまじい神通力を持つ仙人となり、皆から恐れられていた。

 ある時、雨を司どる龍神と争った一角仙人は、神通力で龍神たちを岩屋の中に封じ込めてしまった。そのためハラナ国こくは数ヵ月にわたり一滴の雨も降らず、大干ばつになってしまった。

 憂慮した国王は一計を案じ、旋陀夫人という絶世の美女を仙人のもとに送り込む。果たして夫人の色香に迷った仙人は、夫人の酒杯を受けて酔い、一緒に舞を舞っているうちに眠りこけてしまう。やがて大地が激しく地鳴りを始め、岩屋は砕け散り、龍神たちが一斉に踊り出て仙人を追い立てるが、神通力を失った仙人は、ついに大地に伏してしまった。

 龍神たちは、天地四方に飛び散って行き、国中に恵みの雨を降らせたという。






菅原伝授手習鑑 車引

               ヤマト運輸ねぶた実行委員会
菅原伝授手習鑑 車引
              北村 隆 先生

 平安時代 醍醐天皇の頃、左大臣と右大臣はとても仲が悪かった。

 ある時三つ子の男の子が生まれた。当時三つ子は珍しく縁起が良いと菅丞相(菅原道真)は松王丸、梅王丸、桜丸と名付ける。

 やがて成長し、松王丸は藤原時平へ、梅王丸、桜丸は斎世親王の元へ奉公する。

 左大臣の藤原時平は右大臣の位にあった菅丞相を陥しいれようと画策。

 のちに菅原道真は謀反の罪をきせられ太宰府へ流刑となる。

 これが事件の発端である。

 時は流れ、吉田神社の近く。梅王丸と桜丸は偶然、左大臣藤原時平が吉田神社へ参詣するとの噂を聞く。これを聞いた二人は今こそ時平に返報できる機会と思い時平の牛車を襲う。

 だが、時平の牛飼である松王丸に阻まれる。

 互いに牛車をやるやらぬと引き合う内に牛車は大破し中から時平が姿すがたを見せた。

 梅王丸と桜丸は襲いかかろうとするが「やあ、時平に向かい推参なり」とくわっと睨んだその眼力に二人は動けなくなる。

 その様子を見ていた松王丸は成敗しようとするが、時平は境内を汚すことを許さず、また松王丸の忠義に愛めでて二人の無礼をなかったことにする。

 場面は梅王丸、桜丸が時平と松王丸に対峙する姿である。

羅城門

             に組・東芝
羅城門
            北村 隆 先生

 羅城門とは、京の都の南端(現在の東寺の近く)にあった門である。

 都において南に面する大内裏の外郭十二門のうち最も重要な門で朱雀門と言われていた。

 ある時、源頼光が四天王の渡辺綱と坂田金時、碓井貞光、卜部季武と飲んでいた時、羅城門に出没する鬼の話になった。

 飲んでいる故に皆大胆になり、一人ずつ羅城門へ行って肝試しをすることとなった。

 一人ずつ行ってきて、渡辺綱の番になった時。

 羅城門に行って証拠の立て札を立て、帰ろうとした時のこと。

 綱は不意に兜を何者かに掴まれた。

 身の危険を感じ、刀を抜き斬りかかる。

 相手が逃げていくと、そこには兜を掴んだままの鬼の腕が残されていたという。

 渡辺綱の武勇伝として伝えられている。



治平天成の願い 浪岡北畠 油川奥瀬

                公益社団法人 青森青年会議所
治平天成の願い 浪岡北畠 油川奥瀬
                      立田 龍宝 先生

 善知鳥村と呼ばれていた頃の青森。浪岡北畠氏の先祖である北畠親房は村上源氏の流れを汲む名家の生まれで、後醍醐天皇から厚く信任された。また親房の子顕家は陸奥鎮守府将軍という高い位に就き、のちに宮城県の多賀城にて陸奥国を治めた。

 その後、顕家の子顕成が陸奥の南部氏を頼って北に向かい、浪岡に入部し浪岡御所を構えると、外ヶ浜、西海岸において北畠氏は大きな影響力を持った。北畠氏は油川の熊野十二所権現の再興にも関わり、地域の信仰の中心地を設けた。その油川は交易船が出入りする商港であり、「家数千軒、外ヶ濱一の大邑」と呼ばれ、陸奥湾に広がる海上交通の中心地となった。また陸上交通に於いても羽州街道、松前街道、善知鳥村を経て、南部領に向かう三本の街道が集まる要であった。そのような油川を治めていたのが、南部藩の家臣 奥瀬善九郎である。奥瀬氏は南部高信より油川城の城主に任命され、北畠氏と共に浪岡油川を発展させたのである。

 ねぶたは、密教法具を握りしめる浪岡の北畠氏と、陸奥湾を巡る交易船に乗った油川の奥瀬氏が、郷土青森の繁栄という同じ夢に向かって活躍している姿である。二人の視線の先には、平和と繁栄の象徴である神々しい龍が輝いている。

 新たな元号が制定された本年が、浪岡北畠氏と油川奥瀬氏が青森を繁栄へと導いた熱き想いを継ぎ、近郷近在の善男善女で賑わっていた中世の頃の美しさを陸奥湾に写し、自らの意思で以て郷土を愛する行動を興す時代となることを切に願っている。

紀朝雄の一首 千方を誅す

                            青森菱友会
紀朝雄の一首 千方を誅す
                         竹浪 比呂央 先生

  草も木も 我が大君の國なれば いづくか鬼の 棲なるべき

 天智天皇の御代の伝説である。藤原千方という豪族がいた。彼は、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼という四鬼を意のままに操ることができた。

 堅固な体で矢をも通さない金鬼。大風を吹かせ敵城を吹き破る風鬼。

 洪水を起こし陸地で敵を溺れさせる水鬼。その姿を隠し突然敵に襲いかかる隠形鬼。四鬼の術はいずれも人の力では防ぎようがなく、千方の領する伊勢・伊賀両国の王化は難航を極めた。こうした事態を受けて、天皇より千方討伐を命じられたのが、紀朝雄という人物である。朝雄はかの地に赴くと、冒頭の和歌を一首詠み、鬼たちに向けて送った。「草も木もすべてこの国のものは天皇が治めているのだ。鬼の居場所などどこにあろうか。」この歌を受けた四鬼は術を奪われ一目散に逃げ去った。そして勢力を失った千方を、朝雄は見事討ち果たしたのである。

 新天皇陛下の御即位を奉祝し、新時代「令和」のこの国の安寧と繁栄を祈り願うものである。
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