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大森彦七と千早姫

            マルハニチロ侫武多会
大森彦七と千早姫
             手塚 茂樹 先生


 南北朝時代。湊川の戦いで南朝側の名将 楠木正成を討ち取った大森彦七は、その後、自分の領地である四国 伊予(現在の愛媛県)に戻っていた。

 ある日、彦七は自らが能を舞うため、仲間の侍らと共に寺の能舞台へ向うが、その道中、舞台鑑賞を望む娘と出会い同行を許す。

 だが、この娘の正体は楠木家の宝剣『菊水』を取り戻し、父の仇を討つため近づいてきた正成の娘、千早姫であった。

 増水した川にさしかかり、彦七は娘を背負って渡るが、途中で背後から鬼女の面を被り恐ろしい鬼へと姿を変えた千早姫が襲いかかって来た。

 争いの中で正体を見破った彦七は、千早姫から誤解を受けている事を知り、真実を語る。

 楠木の本陣に攻め入ると、既に正成は切腹直前であったが、武士の礼を尽くして最期を見届け感謝された事、そこに残された刀を宝剣と知らず携たずさえていた事を明かしたのである。

 全てを理解し、涙を流して彦七のもとを去る千早姫。その腕には宝剣『菊水』がしっかりと抱かれていた。

「新 歌舞伎十八番 大森彦七」の一場面である。



 父を想う娘。娘の気持ちに応えた武将。

 現代に薄れつつある「思いやる心」を見つめ直し、新時代『令和』に大いなる和の心を重んずる『大和やまとの国 日本』を再確認したい。

船の草摺引

                   青森山田学園
船の草摺引
               北村 隆 先生

「曽我物語」から始まる和田の酒盛の物語である。

 朝比奈三郎と曽我五郎時宗の力比べの場面は有名である。

 荒馬に乗って大力の曽我五郎時宗、同じく大力の朝比奈三郎。

 大磯宿・七里ヶ浜の場面。兄、曽我十郎祐成が高官たちに嬲られていると聞いて助けに行こうとする。身体には碇綱が巻かれている。

 後見人の朝比奈三郎は短気を起こさぬよう引き止め鎧の草摺を引くものの時宗は一向に動く様子がない。

 大力の朝比奈が更に時宗の草摺を引くと、ついに船は壊れ、草摺は切れて朝比奈は後ろへ倒れてしまったという。






浄焔 日本武尊

                                 JRねぶた実行プロジェクト
浄焔 日本武尊
                竹浪 比呂央 先生

 大和朝廷が勢力を拡大していた五、六世紀。反乱を起こした蝦夷平定の勅命を受け、勇壮な戦いを繰り広げたのが日本武尊である。

 景行天皇の皇子として生まれた日本武尊は幼い頃より武勇に優れ、十六歳で初陣し、西国の熊襲を平定、次いで出雲へ赴き出雲建を討ち、大和へ帰還するも、程なくして今度は東国平定の命を受ける。

 出立した日本武尊はまず伊勢神宮を拝し、ここで神宮に仕える叔母の倭姫命より、天叢雲剣と火打石を授かる。そして東へと進むが、相模に入ったところで土賊の長に欺かれ、野原で火攻めにされてしまう。烈しい風が起こり、煙が立ちこめる。窮地に陥った日本武尊であったが、伊勢で授かった天叢雲剣を抜き草木を薙払うと、火は静まり難を脱することができたのであった。

 渦巻く火焔、災いを払う浄焔を背に、勇ましく剣を振る日本武尊。その雄姿に、新時代「令和」のこの国の繁栄と安寧を祈り願うものである。

神武東征

             あおもり市民ねぶた実行委員会
神武東征
               北村 麻子 先生

日本の初代天皇である神武天皇(カムヤマトイワレヒノミコト)は日本を統治する為、東を目指し日向の国(宮崎県)を発ちました。幾多の戦いと苦難を乗り越えながら神武天皇の軍は東征を目指しました。

 そして、ついに大和を治める豪族の宿敵長髄彦(ナガスネヒコ)との戦いが始まりました。長髄彦の軍は要害の地にたてこもり、なかなか打ち破る事ができませんでした。

 要害の地にたてこもった長髄彦の軍に対し、神武天皇は弓を持って小高い丘の上から全軍を指揮していました。その時、辺りが急に真っ暗になり黒雲の中から燦然と輝く金色の1羽の大きなトビがあらわれました。光がさしたかと思うと、トビは神武天皇が持つ弓の上端に飛来して止まり、その体からせりかがやく金色のまばゆい稲光を発して敵軍の目をくらまして戦意を削いで勝利をもたらしたといわれます。神武天皇最大のクライマックスの場面をねぶたにしました。

 その後、神武天皇は、大和を平定し、奈良県橿原で初代天皇として即位したとされます。

 今年は30年余り続いた「平成」が終わり、年号が新しく変わるこの年に、日本に生まれた者として自分の国の成り立ちをねぶたを通して、未来を担う多くの子供たちに知ってほしいという熱い思いで制作しました。


おらほの田んぼの水神さん

            私たちのねぶた自主製作実行委員会
おらほの田んぼの水神さん
      私たち一同 作
 春が来て、雪が解けて、滔滔と流れる青森の水。

 時には氾濫したり、イタズラもするが、田んぼに注がれると、秋には、稲穂を稔らせ、恵を与えてくれる。

 まるでイタズラ小僧のよう。

 これは、田んぼに注がれる時の、水のようすを表現したねぶたです。

奉祝の舞 廣田神社 津軽神楽

                 青森市役所ねぶた実行委員会
奉祝の舞 廣田神社 津軽神楽
                         京野 和鴻 先生

 津軽地方一円の各神社では、一年で最も重要な神事である例大祭に「津軽神楽」を奉納している。

 その起源は、津軽藩四代藩主津軽信政公が亡くなられた際、神職が江戸や京都で神楽の研鑽を積み、信政公が祀られた高照たかてる神社(弘前市)に奉納したことが始まりとされ、社家である神職しか奏楽することができない神楽である。

 九九六年に創建された「廣田神社」では、信政公に家老として重用され、青森御仮屋の二代目城代として、青森市のまちづくりに尽力した「進藤庄兵衛正次」が御祭神の一柱として祀られており、毎年六月には、国家の安寧と長久の平和を願って「津軽神楽」を奉納している。

 このねぶたは、天皇陛下の御即位と新たな元号を祝い、新しい時代が災厄や困難に見舞われることのないよう厄を祓うため、天狗の面を被って猿田彦の命に扮した神職が演目の1つである宝剣を舞い、五穀豊穣、無病息災をもたらす権現様を祀り、「津軽神楽」を奉納する場面を表したものである。


安穏無事 火消の纏

                消防第二分団ねぶた会・アサヒビール
安穏無事 火消の纏
                  立田 龍宝 先生

平成の時代が幕を閉じ、新たな元号「令和」とともに新たな時代が始まった。平成は地震・豪雨など甚大な被害が多く、尊い命が奪われた。

 消防団は地域に根差した組織で、江戸時代には「町火消し」といわれ庶民の安全を守り 火災が発生すると粋な男たちが駆け付け、消火作業に当たった。

 そこでは纏を振る男伊達な姿、鳶口や刺又を持ち、延焼を防ぐために家屋を壊し庶民の安穏無事を守ったのである。

 今年度消防第二分団ねぶた会・アサヒビールはねぶた出陣七〇回目を迎え、これからも地域の安全を守ると共に、青森ねぶた祭の継承と更なる発展に貢献し、令和の時代が安穏無事であることの願いを込めたねぶたである。

北の守護神「玄武と毘沙門天」

                      青森自衛隊ねぶた協賛会
北の守護神「玄武と毘沙門天」
                  有賀 義弘 先生

毘沙門天は仏教で護法神として、四天王の一尊として数えられる。

 独尊では、毘沙門天、四天王としては多聞天とも呼ばれ北の方角をつかさどる守護神である。また、福や財をもたらす神としても信仰され、七福神の一人とされてきた。
 玄武は、中国の伝説上の神獣で四神の一柱として北の方角を守護する。一般的に亀の体に蛇が巻き付いた姿、或いは尾が蛇になっている亀の姿で描かれる。その姿から厳しい状況の中に、強い安定感を生み出し運気を切り開くといわれる。

 このねぶたは、毘沙門天と玄武がともに北を守護する姿をあらわしており、困難な状況下にも負けずに北を守る青森駐屯地の隊員の姿を重ね合わせたものである。

一角仙人と龍神

                   パナソニックねぶた会
一角仙人と龍神
             北村 蓮明 先生

 昔々、天竺のハラナ国に額に一本の角を持つ男がいた。幼い頃より人々に一角と呼ばれ、鹿の胎内から生まれたと噂されていた。やがて仙境にこもり、修行の末にすさまじい神通力を持つ仙人となり、皆から恐れられていた。

 ある時、雨を司どる龍神と争った一角仙人は、神通力で龍神たちを岩屋の中に封じ込めてしまった。そのためハラナ国こくは数ヵ月にわたり一滴の雨も降らず、大干ばつになってしまった。

 憂慮した国王は一計を案じ、旋陀夫人という絶世の美女を仙人のもとに送り込む。果たして夫人の色香に迷った仙人は、夫人の酒杯を受けて酔い、一緒に舞を舞っているうちに眠りこけてしまう。やがて大地が激しく地鳴りを始め、岩屋は砕け散り、龍神たちが一斉に踊り出て仙人を追い立てるが、神通力を失った仙人は、ついに大地に伏してしまった。

 龍神たちは、天地四方に飛び散って行き、国中に恵みの雨を降らせたという。






菅原伝授手習鑑 車引

               ヤマト運輸ねぶた実行委員会
菅原伝授手習鑑 車引
              北村 隆 先生

 平安時代 醍醐天皇の頃、左大臣と右大臣はとても仲が悪かった。

 ある時三つ子の男の子が生まれた。当時三つ子は珍しく縁起が良いと菅丞相(菅原道真)は松王丸、梅王丸、桜丸と名付ける。

 やがて成長し、松王丸は藤原時平へ、梅王丸、桜丸は斎世親王の元へ奉公する。

 左大臣の藤原時平は右大臣の位にあった菅丞相を陥しいれようと画策。

 のちに菅原道真は謀反の罪をきせられ太宰府へ流刑となる。

 これが事件の発端である。

 時は流れ、吉田神社の近く。梅王丸と桜丸は偶然、左大臣藤原時平が吉田神社へ参詣するとの噂を聞く。これを聞いた二人は今こそ時平に返報できる機会と思い時平の牛車を襲う。

 だが、時平の牛飼である松王丸に阻まれる。

 互いに牛車をやるやらぬと引き合う内に牛車は大破し中から時平が姿すがたを見せた。

 梅王丸と桜丸は襲いかかろうとするが「やあ、時平に向かい推参なり」とくわっと睨んだその眼力に二人は動けなくなる。

 その様子を見ていた松王丸は成敗しようとするが、時平は境内を汚すことを許さず、また松王丸の忠義に愛めでて二人の無礼をなかったことにする。

 場面は梅王丸、桜丸が時平と松王丸に対峙する姿である。

羅城門

             に組・東芝
羅城門
            北村 隆 先生

 羅城門とは、京の都の南端(現在の東寺の近く)にあった門である。

 都において南に面する大内裏の外郭十二門のうち最も重要な門で朱雀門と言われていた。

 ある時、源頼光が四天王の渡辺綱と坂田金時、碓井貞光、卜部季武と飲んでいた時、羅城門に出没する鬼の話になった。

 飲んでいる故に皆大胆になり、一人ずつ羅城門へ行って肝試しをすることとなった。

 一人ずつ行ってきて、渡辺綱の番になった時。

 羅城門に行って証拠の立て札を立て、帰ろうとした時のこと。

 綱は不意に兜を何者かに掴まれた。

 身の危険を感じ、刀を抜き斬りかかる。

 相手が逃げていくと、そこには兜を掴んだままの鬼の腕が残されていたという。

 渡辺綱の武勇伝として伝えられている。



治平天成の願い 浪岡北畠 油川奥瀬

                公益社団法人 青森青年会議所
治平天成の願い 浪岡北畠 油川奥瀬
                      立田 龍宝 先生

 善知鳥村と呼ばれていた頃の青森。浪岡北畠氏の先祖である北畠親房は村上源氏の流れを汲む名家の生まれで、後醍醐天皇から厚く信任された。また親房の子顕家は陸奥鎮守府将軍という高い位に就き、のちに宮城県の多賀城にて陸奥国を治めた。

 その後、顕家の子顕成が陸奥の南部氏を頼って北に向かい、浪岡に入部し浪岡御所を構えると、外ヶ浜、西海岸において北畠氏は大きな影響力を持った。北畠氏は油川の熊野十二所権現の再興にも関わり、地域の信仰の中心地を設けた。その油川は交易船が出入りする商港であり、「家数千軒、外ヶ濱一の大邑」と呼ばれ、陸奥湾に広がる海上交通の中心地となった。また陸上交通に於いても羽州街道、松前街道、善知鳥村を経て、南部領に向かう三本の街道が集まる要であった。そのような油川を治めていたのが、南部藩の家臣 奥瀬善九郎である。奥瀬氏は南部高信より油川城の城主に任命され、北畠氏と共に浪岡油川を発展させたのである。

 ねぶたは、密教法具を握りしめる浪岡の北畠氏と、陸奥湾を巡る交易船に乗った油川の奥瀬氏が、郷土青森の繁栄という同じ夢に向かって活躍している姿である。二人の視線の先には、平和と繁栄の象徴である神々しい龍が輝いている。

 新たな元号が制定された本年が、浪岡北畠氏と油川奥瀬氏が青森を繁栄へと導いた熱き想いを継ぎ、近郷近在の善男善女で賑わっていた中世の頃の美しさを陸奥湾に写し、自らの意思で以て郷土を愛する行動を興す時代となることを切に願っている。

紀朝雄の一首 千方を誅す

                            青森菱友会
紀朝雄の一首 千方を誅す
                         竹浪 比呂央 先生

  草も木も 我が大君の國なれば いづくか鬼の 棲なるべき

 天智天皇の御代の伝説である。藤原千方という豪族がいた。彼は、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼という四鬼を意のままに操ることができた。

 堅固な体で矢をも通さない金鬼。大風を吹かせ敵城を吹き破る風鬼。

 洪水を起こし陸地で敵を溺れさせる水鬼。その姿を隠し突然敵に襲いかかる隠形鬼。四鬼の術はいずれも人の力では防ぎようがなく、千方の領する伊勢・伊賀両国の王化は難航を極めた。こうした事態を受けて、天皇より千方討伐を命じられたのが、紀朝雄という人物である。朝雄はかの地に赴くと、冒頭の和歌を一首詠み、鬼たちに向けて送った。「草も木もすべてこの国のものは天皇が治めているのだ。鬼の居場所などどこにあろうか。」この歌を受けた四鬼は術を奪われ一目散に逃げ去った。そして勢力を失った千方を、朝雄は見事討ち果たしたのである。

 新天皇陛下の御即位を奉祝し、新時代「令和」のこの国の安寧と繁栄を祈り願うものである。

土蜘蛛

                          ねぶた愛好会
土蜘蛛
                  諏訪 慎 先生

 源頼光が病で床に伏していたところ、突然、身の丈七尺あまりの怪僧が現れ、縄を放って頼光を絡めとろうとした。頼光が病床にもかかわらず名刀「膝丸」で斬りつけると、僧は蜘蛛の糸を投げつけ、逃げ去った。

 翌日、頼光が四天王に命じて僧の血痕を追うと、古塚にたどり着き、中から全長四尺の巨大な蜘蛛が姿を見せ、糸を繰り出し抵抗するが斬り伏せられてしまう。蜘蛛の腹からは、無数の髑髏が出てきた。

 頼光の病はその後すぐに回復し、土蜘蛛を討った膝丸は、以後「蜘蛛切り」と呼ばれるようになった。


龍飛崎「義経幻視行」

                                  サンロード青森
龍飛崎「義経幻視行」   
                         千葉 作龍 先生

 源義経は、兄頼朝に追われ京から吉野、そして北陸く加賀を経て奥州平泉の藤原秀衡の基へと落ちのびる。

 その後、頼朝の奥州攻めにより平泉で最期を遂げた。しかし、実は新天地・蝦夷を目指し逃げのびたのだという。

 そして、苦難の末竜飛崎に辿り着くも、強風荒れ狂う海に行く手を阻まれ渡ることができない。

 その時白髪の翁が現われ、三頭の龍馬を与えられ無事海峡を渡ることができたという。(このねぶたの場面)

 白髪の翁は、義経の守護仏・観世音菩薩の化身であった。

 その後、蝦夷から大陸に渡り、成吉思汗となりモンゴル帝国を築いたとも伝えられている。

十和田湖伝説「南祖坊と八之太郎」

                         東北電力ねぶた愛好会
十和田湖伝説「南祖坊と八之太郎」
                               京野 和鴻 先生

 その昔、三戸郡斗賀村(現南部町)で生をうけた南祖坊(なんそぼう)は、才知に優れた天童で、齢十八で故郷を離れ、なだたる霊山で修行を重ねた名僧である。

 修行で熊野の地を訪れた折「この世で最も美しい山と湖をそなたに授けよう。鉄のわらじの緒が切れたところがその地じゃ」との熊野権現のご神託をうけた。

 熊野を離れ修行を重ねる南祖坊が十和田山の頂きに辿り着いた時、ついにわらじの緒が切れた。すると、湖の主「八之太郎」が現れ、九頭竜に化身し南祖坊に戦いを挑んできた。

 雷鳴が轟き天地揺るがす戦いが七日七夜繰り広げられるも勝敗は決せず、南祖坊はとうとう仏様の力を借りて法華経を頭上に掲げると、経文一字一字が矢となって八之太郎に突き刺さり、ついに八之太郎を倒した。

 令和の御代最初の出陣は、青森県ゆかりの「南祖坊」と「十和田湖」に題材を求め、時代が変わっても地域とともに歩み「東北の繁栄と発展に貢献する」という、創立以来の理念を確実に継承していく覚悟と決意を込めております。

「舎利」韋駄天と足疾鬼

                              青森県板金工業組合
「舎利」韋駄天と足疾鬼
                                 作: 北村 蓮明

 京都の東山山麓に泉涌寺というお寺があり、そこにはお釈迦さまの牙舎利(歯)が安置されている。


 経文や説法をされたお口に近い歯ということで特にありがたく尊い舎利である。

 出雲国から来た僧が、やっとのことで牙舎利を拝めることになり、韋駄天を従えた仏舎利を前に、心静かに拝んでいると、いつのまにか、そばで涙を流している男がいた。

 急に空がまっ黒になり、雷光が走りだし、その男は鬼に姿を変えると「我こそはその昔、お釈迦さまの骨を盗んで逃げた足疾鬼じゃ」と叫び、牙舎利をかかえ、虚空へ逃げ去ってしまったのである。


 増長天の弟子に足の速い韋駄天がおり、地の果てまで足疾鬼を追いつめ、こらしめて牙舎利を取り返してから、何千年もたつのにまた現れたのである。

 僧と寺男たちの祈りにより、韋駄天像が動き出し、すぐに後を追い始めると、天上界へと逃げる足疾鬼だったが、法力にはかなわず、ついに元の人間界へけ落とされてしまう。


 散々ふみつけられ、泣く泣く舎利を返したのである。

 僧たちが気がつくと、韋駄天は元の像の姿に戻っていたという。

 足疾鬼の気もちが正しい道に向かうよう祈り、僧は故郷へ帰って行った。

竜飛の黒神 男鹿の赤神

                                   日本通運ねぶた実行委員会
竜飛の黒神 男鹿の赤神
                      林 広海 先生

 昔々、青森県の竜飛というところに黒神という神様が住んでいました。

 また、秋田県の男鹿半島というところに赤神という神様も住んでいました。

 黒神は筋骨隆々としてその風貌も荒々しかったが、一方、赤神は笛の名手であり、性格も心優しかった。

 二人の神様は十和田湖というところのほとりに住むとても美しい女神を自分の妻にしようと争います。

 黒神は竜を飛ばし赤神に襲いかかります。赤神は、数知れぬ鹿を繰り出し野山を埋めて黒神を迎えます。

 竜は口から火を吹いて鹿を追い払い、鹿は鋭い角で竜に立ち向かいます。

 どちらの神も決してあきらめず、なかなか決着がつきません。

 その時、この戦いをひと目見ようと各地から八百万(やおろず)の神々が、津軽の岩木山に集まりました。

 頂上を挟んで黒神派は右側、赤神派は左側へと陣取ったとき、黒神を支持する方が多かったために、その重みで岩木山の右肩が低くなったと言われています

 やがて、黒神が勝利し、赤神は傷つき、その血で大地を染めて紅葉に変えながら、男鹿へ逃げ帰って行きました。

 ところが女神は負けた赤神に同情し、赤神を追って行ってしまいました。

 戦いには勝ったものの女神を失った黒神は、悲しみのあまりため息をつきました。

 その大きなため息によって地が裂け、津軽海峡ができたと言われています。

朝比奈三郎と閻魔

                                          県庁ねぶた実行委員会
朝比奈三郎と閻魔
                             大白 我鴻 先生


 朝比奈義秀は鎌倉時代初期の武士。和田義盛の三男で、朝比奈三郎と称した。名字は安房国朝夷郡に由来する。

 建暦く三年(1213年)の和田合戦では一族と共に奮戦し、その剛勇無双ぶりは神のごとく、朝比奈三郎と戦って死を免れるものはないといわれるほどであった。

 このねぶたは、地獄へ送る人々を求めて六道の辻に出ていた閻魔大王が、偶然出くわした朝比奈三郎を地獄へ落とそうとする場面であり、一心不乱に責める閻魔大王と威風堂々たる朝比奈三郎を描いたものである。

托塔天王 晁蓋

托塔天王 晁蓋
                          大白 我鴻 先生


 晁蓋は中国の四大奇書の一つである「水滸伝」の登場人物で梁山泊の二代目首領。

ある谷川を境として、東渓村と西渓村の二つの村があり、西渓村では妖怪が出ては人々を困らせていた。

ある時、一人の旅の僧が、西渓村の谷に宝塔を建て、妖怪が入り込まないようにしたところ、西渓村には無事が続いたが、今度は、西渓村せいけいそんから逃げた妖怪が東渓村とうけいそんへと集まってしまう。

それを聞いて怒ったのが、東渓村とうけいそんの名主なぬし、晁ちょう蓋がい。ある夜、独りで谷川を渡って行き、西渓村せいけいそんに建てられた宝塔を担いで帰り、東渓村とうけいそんに据えると妖怪は現れなくなった。

このとき以来、晁ちょう蓋がいは托塔たくとう天王てんのうと呼ばれるようになった。

だが、再び西渓村せいけいそんが被害にあうようになり、晁ちょう蓋がいも自分の短慮を反省し、身銭を切り同じ宝塔を西渓村せいけいそんに建てたと言われる人物。
県庁2018

平治の乱 平重盛と悪源太義平

平治の乱 平重盛と悪源太義平
                                私たち一同 作


保元の乱では共に組んだ源義朝と平清盛だが、義朝は恩賞の差に不満を抱いていた。

一方、後白河法皇に取り入れられ、勢力を伸ばす清盛。

熊野詣に出かけ、京都を留守にした1159年(平治元年)12月。

義朝は法皇の御所『東三条殿』を焼き討ちにし、法皇を幽閉。

こうして平治の乱が引き起こされた。

乱を知った清盛は急いで京に引き返し、法皇を奪還。

清盛は兵を挙げ、義朝は落ち延びた先の尾張で暗殺された。

この乱により、源氏は壊滅的な被害を被り、平氏政権が誕生した。



この乱に於ける戦いの白眉は『紫宸殿の戦い』と呼ばれるものである。

清盛の長男、重盛が平安京大内裏の待賢門に五百騎で攻め入ったのだが、

それを義朝の長男、弱冠19歳の義平が手勢わずか17騎で迎え撃ち、重盛軍を散々に蹴散らした。

その時、紫宸殿前庭で一騎打ちした義平は、重盛の首を掻く寸前まで追い詰めたという。

私たち2018

西王母の祝福

西王母の祝福
                      北村 春一 先生







 「西王母」とは、多くの中国神話に登場し、仙女の世界の女王的存在として長く民間で信仰された女神である。西の彼方にある仙郷・崑崙山に住むとされ、仙桃を管理していた。

 時は周王朝、五代目の皇帝「穆王」は大陸全土を巡って治世に努め、天下は富み栄え、威光は天下に充ち満ちている。皇帝の威徳によって咲いたという三千年に一度開花結実する仙界の桃の実は、不老長寿の妙薬である。治まる御代に感応した西王母は仙桃を献上するため降臨し、天下の太平を祝福した。

 ねぶたは、治世祝福の宴げの席、鳳凰や仙女が飛び交う中、美しく舞う西王母と聖君穆王の姿を表している。
NTT2018

入雲龍 公孫勝

入雲龍 公孫勝
                              北村 麻子 先生


 ある者はいわれのない罪で辺境に流され、またある者は理不尽な権力にさからい、追われる身となった。高い志をもちながら、社会からはみだし、梁山泊に集った豪傑たち。その数、百八人。民をしいたげる悪徳官僚たちに、敢然と反旗きを翻し活躍した豪傑の中に水滸伝百八星の中の天間星の生まれ変わりであり、序列は梁山泊第四位の好漢「公孫勝」がいた。

 公孫勝は龍を召喚することもできたので、あだ名は入雲龍と呼ばれ、梁山泊では副軍師を務めていた。公孫勝は世の中を正すため梁山泊に集まり戦いを繰り広げ、たびたび梁山泊軍の危機を救ったという。公孫勝は奇術を学んだ豪傑であり、場面は「風よ吹け!嵐よ怒いかれ!龍よ出いでよ!」と公孫勝が剣を抜いて呪文を唱え「応龍」を呼び出し、自在に操る場面である。

 応龍は、濃緑で金の鱗の翼をもち蝙蝠の翼のようにひろげ宙を舞い、巻き起こす風によって大波を起こし窮地を救った。

【見送り】葛飾北斎と娘「応為」

 今回制作する「入雲龍 公孫勝」は葛飾北斎が手がけた長野県の宝になっている祭り夜台の龍や鳳凰の天井画の迫力図が公孫勝がモチーフとなっている事から見送りには北斎と共同制作したと言われている北斎と娘の「応為」が天井絵「怒涛」図の「男浪」「女浪」を前に和らぐ親子の姿です。

 北斎は「美人画にかけては応為には敵わない」と言ったという。北斎が娘を「オーイ、オーイ」とよんでいたのでそのまま名前を応為とした。
市民2018

永久の安寧 ~善知鳥・安潟~

永久の安寧 ~善知鳥・安潟~
                              立田 龍宝 先生







 青森市安方にある善知鳥神社。この神社は現在の青森市が昔、善知鳥村と言われた頃、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすおおみかみ)の御子の三女神を、善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。この善知鳥神社で大切な儀式の時に踊られている舞が二つ存在する。それは「善知鳥舞」と「安潟舞」である。「善知鳥舞」は青森の永久の安寧を願い、うとう鳥の親子の情愛を表現し創作したもの。そして「安潟舞」も青森の永久の安寧・繁栄を願ったもの。どちらもまちの安泰を祈った踊りである。約四〇〇年前の江戸時代に港町として始まった青森は、廃藩置県後の明治三十一年(一八九八年)四月一日に青森町から青森市へと変わり、今年で一二〇年目の節目となる。

 このねぶたは青森市がこれからも発展し続けること、そしてまちに住む人々がお互いを支え合い絆を大切にしていくこと、この二つが不死鳥の如く永久に続くことへの願いを天照大御神と宗像三女神に込めたものであり、ねぶたを通じて多くの人々に青森への誇りをもってもらいたいと願っている。
青年会議所2018

遊侠 石川五右衛門

遊侠 石川五右衛門
                      立田 龍宝 先生






 天下御免の大泥棒 石川五右衛門は、安土桃山時代に出没した盗賊の首長であり、都市部を中心に荒らしまわり、当時の権力者である豊臣秀吉の手勢に捕えられ、京都三条河原で煎り殺されたという話が有名である。

 江戸時代には伝説の大泥棒として庶民に浸透し、石川五右衛門が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演目として創作され、次第に義賊として扱われるようになった。また権力者の豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えた。

 ねぶたは石川五右衛門が城(大阪城・名古屋城)に忍び込み金の鯱を盗み、担ぎながら右手に刀を、左手に煙管を持ち余裕な表情で龍と対峙する場面である。

 「強きをくじき 弱きを助ける」男伊達石川五右衛門が「絶景かな 絶景かな」と唱えている場面である。

アサヒビール2018

花和尚 「魯智深」

花和尚 「魯智深」
                 京野 和鴻 先生







魯智深は水滸伝に登場する百八人の豪傑の一人。身の丈八尺もある大男で、重さ十貫の鉄棒を振り回す力持ち。全身に花の刺青があることから花和尚と呼ばれていた。

義侠心に厚く、困っている人を見ると損得考えず助けずにはいられない、その真っすぐで明るく陽気な性格で皆に愛された好漢である。

僧侶になる前の名前は魯達。弱い者や困っている者を見ると放っておけない性分の魯達は、ある日、歌うたいの若い娘と無理やり結婚しようとする肉屋の主人から、その娘親子を助けるが、それが原因で追われる身となってしまう。

その後、魯達は助けた親子に再び出会い、その家族から五台山文殊院の智真禅師を紹介され、彼の心の奥にある仏性を見抜いた禅師より魯智深の法名を授けられ出家したという。

その生き方から多くの人に愛され信頼された「花和尚 魯智深」のように、私たちも「真っすぐに地域に寄り添い、地域の皆さまと共に歩んで行く」という熱い思いを込めております。
東北電力2018

西遊記 「天竺への道」

西遊記 「天竺への道」
                               京野 和鴻 先生

仏教の経典を持ち帰るため、「天竺(現在のインド付近)」を目指した玄奘三蔵一行は、平頂山蓮華洞に辿り着いた際、金角・銀角の兄弟魔王に猪八戒や沙悟浄、さらには三蔵まで捕えられてしまった。

孫悟空は銀角の魔力により山で封じられながらも、返事をした者を吸い込む瓢箪を使い、強敵の金角・銀角を倒すことができた。

実は、この金角・銀角は、三蔵一行に試練を与えるため、太上老君が遣わした金炉と銀炉の番をしている童子達であった。

このねぶたは、仙人の武器である芭蕉扇(ばしょうせん)をもつ金角、紅葫蘆(べにひさご)をもつ銀角と孫悟空との戦いの場面を表したものである。

市役所2018
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