2016マルハニチロ侫武多会
海神と山幸彦 手束茂樹 先生
兄の海幸彦(うみさちひこ)から借りた釣針を無くした弟の山幸彦(やまさちひこ)は、どうすることもできず困り果て、海岸に座り込んでいた。そこへ突如現れた塩椎神(しおつちのかみ)の教えにより、深海に住む大海の主、海神(わだつみ)の宮を訪ねた。
海神は大いに歓迎し、娘の豊玉毘売(とよたまひめ)と結婚させ、山幸彦も時を忘れて日々を楽しんだ。
数年後、深いため息と共に悩みを打ち明けた山幸彦を見た海神は、全ての魚達を集めて調べることにした。すると、長い間喉の痛みを訴えていた大鯛から、例の釣針が出て来たのである。
鰐鮫(わにざめ)に乗って地上へ帰る山幸彦に、海神は釣針と、潮の満干を司る霊力を持った『潮盈珠(しおみつたま)』と『潮乾珠(しおひるたま)』を授けた。
釣針を返しに兄のもとへ戻った山幸彦だが、海幸彦は素直に受け取らず争いになる。
山幸彦は海神から貰った珠の効力で降参させ、その後は助け合い仲良く暮らしたのであった。
生命の源である、広大な海。最近は環境汚染が進みさまざまな弊害も起こっている。
この状態が続けば、やがて我々は海神の怒りに触れるであろう。
美しい海を、地球を未来に残すため、これからも自然の大切さを考えていきたい。

兄の海幸彦(うみさちひこ)から借りた釣針を無くした弟の山幸彦(やまさちひこ)は、どうすることもできず困り果て、海岸に座り込んでいた。そこへ突如現れた塩椎神(しおつちのかみ)の教えにより、深海に住む大海の主、海神(わだつみ)の宮を訪ねた。
海神は大いに歓迎し、娘の豊玉毘売(とよたまひめ)と結婚させ、山幸彦も時を忘れて日々を楽しんだ。
数年後、深いため息と共に悩みを打ち明けた山幸彦を見た海神は、全ての魚達を集めて調べることにした。すると、長い間喉の痛みを訴えていた大鯛から、例の釣針が出て来たのである。
鰐鮫(わにざめ)に乗って地上へ帰る山幸彦に、海神は釣針と、潮の満干を司る霊力を持った『潮盈珠(しおみつたま)』と『潮乾珠(しおひるたま)』を授けた。
釣針を返しに兄のもとへ戻った山幸彦だが、海幸彦は素直に受け取らず争いになる。
山幸彦は海神から貰った珠の効力で降参させ、その後は助け合い仲良く暮らしたのであった。
生命の源である、広大な海。最近は環境汚染が進みさまざまな弊害も起こっている。
この状態が続けば、やがて我々は海神の怒りに触れるであろう。
美しい海を、地球を未来に残すため、これからも自然の大切さを考えていきたい。

2016青森自衛隊ねぶた協賛会
2016東北電力ねぶた愛好会
北方の王者 「藤原秀衡」 京野 和鴻 先生
時は現在から900年程前の平安時代末期、藤原氏は、百年に渡って繁栄を極め、平泉(現在の岩手県奥州市)は平安京に次ぐ日本第二の都市となりました。
藤原秀衡は、平泉文化を大きく華はなひらかせた人物で、清衡、基衡から受け継いだ平和な理想郷の意志と厚い信仰心を持ち、源平合戦の折には、平氏、後白河法皇、源氏のいずれにもつかず中立を保ち、陸奥(現在の青森、岩手、宮城、福島県)を守ってきました。
しかし、平氏を滅ぼして勢力を拡大してきた鎌倉の源頼朝が陸奥を手中にしようと狙ってきましたが、藤原秀衡は源頼朝の命令を忠実に実行するものの、もはや鎌倉との衝突を避けられないと考え、兄 頼朝と対立して追われた源義経を頼朝との関係が悪化する事を覚悟で受け容れました。
実質的な戦いには至らなかったものの、頼朝からの引渡要求を拒み続けた強い意志の持ち主であった、
北方の王者「藤原秀衡」をねぶたで再現したものです。
この東北を守り続けた藤原秀衡の姿に、地域の復興・発展の思いを重ね合わせ、第49回目の出陣をいたします。

時は現在から900年程前の平安時代末期、藤原氏は、百年に渡って繁栄を極め、平泉(現在の岩手県奥州市)は平安京に次ぐ日本第二の都市となりました。
藤原秀衡は、平泉文化を大きく華はなひらかせた人物で、清衡、基衡から受け継いだ平和な理想郷の意志と厚い信仰心を持ち、源平合戦の折には、平氏、後白河法皇、源氏のいずれにもつかず中立を保ち、陸奥(現在の青森、岩手、宮城、福島県)を守ってきました。
しかし、平氏を滅ぼして勢力を拡大してきた鎌倉の源頼朝が陸奥を手中にしようと狙ってきましたが、藤原秀衡は源頼朝の命令を忠実に実行するものの、もはや鎌倉との衝突を避けられないと考え、兄 頼朝と対立して追われた源義経を頼朝との関係が悪化する事を覚悟で受け容れました。
実質的な戦いには至らなかったものの、頼朝からの引渡要求を拒み続けた強い意志の持ち主であった、
北方の王者「藤原秀衡」をねぶたで再現したものです。
この東北を守り続けた藤原秀衡の姿に、地域の復興・発展の思いを重ね合わせ、第49回目の出陣をいたします。

2016ヤマト運輸ねぶた実行委員会
俵籐太と竜神 北村 隆 先生
平安時代中期、瀬田の唐橋の下に棲む竜神は大百足に悩まされていた。
そこへ通りかかった田原籐太秀郷の豪胆を見込みこんで百足退治たいじのため龍宮へ案内する。
竜神に頼まれ三上山の大百足を退治した秀郷はお礼として慈尊出世を告げる名鐘と米の尽きることのない米俵や名剣を贈られた。こののち田原籐太は俵籐太といわれる。
名鐘は三井寺へ納められ「三井の晩鐘」といわれ、名剣は「蜈蚣切」の名で宝刀として伊勢神宮に所蔵されている。
いわゆる大人の龍宮伝である。
平安時代中期、瀬田の唐橋の下に棲む竜神は大百足に悩まされていた。
そこへ通りかかった田原籐太秀郷の豪胆を見込みこんで百足退治たいじのため龍宮へ案内する。
竜神に頼まれ三上山の大百足を退治した秀郷はお礼として慈尊出世を告げる名鐘と米の尽きることのない米俵や名剣を贈られた。こののち田原籐太は俵籐太といわれる。
名鐘は三井寺へ納められ「三井の晩鐘」といわれ、名剣は「蜈蚣切」の名で宝刀として伊勢神宮に所蔵されている。
いわゆる大人の龍宮伝である。
2016あおもり市民ねぶた実行委員会
陰陽師、妖怪退治 北村 麻子 先生
陰陽師 それはこの国の「守り人」とも言われている。
陰陽師とは、古代の日本に存在した呪術、占術「陰陽道」を用い、吉凶を占い幻を現し、時には呪いや鬼さいも操ったと言われています。
陰陽師が最も活躍したのが平安時代である。その平安時代は平安とはうらはらに闇と迷信が支配し、怪異や天変地異、物の怪や怨霊が世を乱すと思われていた。
人々は神、鬼、精を「もの」と呼び恐れ、「もの」は人に取り付き、ある時は疫病を流行らせた。
どこからともなく現れ、人々に不幸をもたらす妖怪変化。それらと戦い、あるいは前兆を読み、不浄を取り除くことが陰陽師の役割だった。
人々は彼らを畏怖の念をもって「陰陽師」と呼んだ。
このねぶたは、陰陽師が霊符を用い、魑魅魍魎を退治している場面である。
陰陽師 それはこの国の「守り人」とも言われている。
陰陽師とは、古代の日本に存在した呪術、占術「陰陽道」を用い、吉凶を占い幻を現し、時には呪いや鬼さいも操ったと言われています。
陰陽師が最も活躍したのが平安時代である。その平安時代は平安とはうらはらに闇と迷信が支配し、怪異や天変地異、物の怪や怨霊が世を乱すと思われていた。
人々は神、鬼、精を「もの」と呼び恐れ、「もの」は人に取り付き、ある時は疫病を流行らせた。
どこからともなく現れ、人々に不幸をもたらす妖怪変化。それらと戦い、あるいは前兆を読み、不浄を取り除くことが陰陽師の役割だった。
人々は彼らを畏怖の念をもって「陰陽師」と呼んだ。
このねぶたは、陰陽師が霊符を用い、魑魅魍魎を退治している場面である。
2016消防第二分団ねぶた会・アサヒビール
2016県庁ねぶた実行委員会
2016青森県板金工業組合
2016青森市PTA連合会
2016日立連合ねぶた」委員会
2016パナソニックねぶた会
怪力朝比奈、北条に挑む 北村 蓮明 先生
源頼朝の死後、妻政子この一族北条家が執権となり、すべての政を手中に収めていた。将軍をしのぐ勢力をもつ北条義時は、ことの責任を相手に負わせ、結果を自分の懐中に入れる北条流儀で、一緒に戦った仲間を次々滅ぼしていた。一方、将軍實朝に仕える和田義盛は、極めて信望の厚い、誠実無二の武人であった。
建保元年、北条氏の野心に業を煮やした義盛が乱を起こすや、三男朝比奈三郎義秀は、父と共に幕府と北条を襲ったのである。
鎌倉三代、幾十となく繰り返された合戦の中で和田義盛の人物像を反映してか、いかにも男らしい咲く花の散る合戦であったという。
怪力で知られる朝比奈が最も勇戦する「和田合戦」の一場面である。

源頼朝の死後、妻政子この一族北条家が執権となり、すべての政を手中に収めていた。将軍をしのぐ勢力をもつ北条義時は、ことの責任を相手に負わせ、結果を自分の懐中に入れる北条流儀で、一緒に戦った仲間を次々滅ぼしていた。一方、将軍實朝に仕える和田義盛は、極めて信望の厚い、誠実無二の武人であった。
建保元年、北条氏の野心に業を煮やした義盛が乱を起こすや、三男朝比奈三郎義秀は、父と共に幕府と北条を襲ったのである。
鎌倉三代、幾十となく繰り返された合戦の中で和田義盛の人物像を反映してか、いかにも男らしい咲く花の散る合戦であったという。
怪力で知られる朝比奈が最も勇戦する「和田合戦」の一場面である。

2016私たちのねぶた自主制作実行委員会
2016ねぶた愛好会
素戔嗚尊 八岐大蛇退治 諏訪 慎 先生
高天原で暴れすぎて追放された、孤独な若い素戔嗚尊すさのおのみことが出雲の国の肥の河の上流に向かっていくと、一軒の家があり、おじいさんとおばあさんが美しい娘を中に置き、泣き悲しんでいました。
尊は「お前たちは何をそのように悲しんでいるのか」と尋ねると、おじいさんは「私には8人の娘がいましたが、八や岐またの大蛇おろちが毎年来て、生け贄として一人づつ喰ってしまいました。最後にのこったのが、この奇稲田姫です。今年もまた、来る時期になりました。この姫をさしださなければなりません。」と言いました。八岐大蛇について尋ねると「一つの胴体に八つの頭と尾をもち、目はホオズキのように真っ赤で、その長さは八つの谷と八つの尾根にまたがるほど巨大で、腹はいつも血でただれている」と言います。
尊は娘を妻にもらうことを条件に八岐大蛇を退治する約束をしました。そして老夫婦に強い酒をつくり、八つの酒槽にわけて置くよう命じ、大蛇の現れるのを待ちました。やがて八岐大蛇が地響きを立てながらやって来て、その酒を一気に飲み干し、すっかり酔っぱらって寝込んでしまいました。そこに素戔嗚尊が踊り出て、酔いつぶれた大蛇をずたずたに切り刻むと肥の河は、真っ赤に染まったという出雲の国の神話です。

高天原で暴れすぎて追放された、孤独な若い素戔嗚尊すさのおのみことが出雲の国の肥の河の上流に向かっていくと、一軒の家があり、おじいさんとおばあさんが美しい娘を中に置き、泣き悲しんでいました。
尊は「お前たちは何をそのように悲しんでいるのか」と尋ねると、おじいさんは「私には8人の娘がいましたが、八や岐またの大蛇おろちが毎年来て、生け贄として一人づつ喰ってしまいました。最後にのこったのが、この奇稲田姫です。今年もまた、来る時期になりました。この姫をさしださなければなりません。」と言いました。八岐大蛇について尋ねると「一つの胴体に八つの頭と尾をもち、目はホオズキのように真っ赤で、その長さは八つの谷と八つの尾根にまたがるほど巨大で、腹はいつも血でただれている」と言います。
尊は娘を妻にもらうことを条件に八岐大蛇を退治する約束をしました。そして老夫婦に強い酒をつくり、八つの酒槽にわけて置くよう命じ、大蛇の現れるのを待ちました。やがて八岐大蛇が地響きを立てながらやって来て、その酒を一気に飲み干し、すっかり酔っぱらって寝込んでしまいました。そこに素戔嗚尊が踊り出て、酔いつぶれた大蛇をずたずたに切り刻むと肥の河は、真っ赤に染まったという出雲の国の神話です。

2016に組・東芝
纏と唐獅子牡丹 北村 隆 先生
地震とともに火事は最も恐ろしい災害である。
享保四年1719年 大岡越前守忠助の名により「いろは四十八組」制度ができた。
火事装束はまさに火消しの「勇み」「気負い」の象徴ともいい纏のもとに総力を結集して消火作業を行い纏が火を消したとまで言われた。
火事場に命を懸けた火消したちを描き「意気地と粋」の庶民文化を高らかに謳いあげたものであり、颯爽たる「男伊達」に象徴される。
のちに纏も悪霊や邪気を払うものとしてつかわれはじめた。
「百花の王」と言われる牡丹の下で身を守る唐獅子もまた「百獣の王」と言われており獅子頭には強い霊力があり悪い気を食べてくれるという。
纏と唐獅子 ふたつの邪気を払うという力を表現した。

地震とともに火事は最も恐ろしい災害である。
享保四年1719年 大岡越前守忠助の名により「いろは四十八組」制度ができた。
火事装束はまさに火消しの「勇み」「気負い」の象徴ともいい纏のもとに総力を結集して消火作業を行い纏が火を消したとまで言われた。
火事場に命を懸けた火消したちを描き「意気地と粋」の庶民文化を高らかに謳いあげたものであり、颯爽たる「男伊達」に象徴される。
のちに纏も悪霊や邪気を払うものとしてつかわれはじめた。
「百花の王」と言われる牡丹の下で身を守る唐獅子もまた「百獣の王」と言われており獅子頭には強い霊力があり悪い気を食べてくれるという。
纏と唐獅子 ふたつの邪気を払うという力を表現した。

青森市役所ねぶた実行委員会
青森山田学園
公益社団帆人 青森青年会議所
蜀漢 報恩鬼神 立田 龍宝 先生
中国三国時代、蜀漢の武将である関羽は義に篤く、学問に長け、武勇に秀でており、身丈九尺、顎鬚二尺、鳳凰の眼に蚕のような眉と勇壮な人物であり、重さ八十二斤ある青龍偃月刀を自在に操ることもできた。かつて、劉備が曹操の攻撃を受け、袁紹を頼って落ちのびたとき、関羽は命ぜられていた下伾城を守るために捕らえられたが、曹操の手厚い礼遇を受けた。関羽は曹操軍の客将として出陣し、袁紹軍の将の顔良がんりょうを討ち曹操への恩に報いた後、劉備のもとへ帰り、以後数々の戦いや政務で活躍し劉備のために尽力した。最後は捕えられ処刑されてしまうが、劉備は関羽のために弔い合戦をし「義」を果たそうとするのである。
このような強い結びつきは、義兄弟の契りを結んだ桃園の誓いにあり、そこでは「心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」と誓いを立てている。「義」を果たそうとする関羽の行動は、志を同じうするものが集い、ひとのため地域のために行動し、明るい豊かな社会を実現しようとする青年会議所会員と同じである。
創立六十五周年という新たな節目となる今年度、改めて初心を忘れず活動し、地域社会の更なる発展へと繋げて欲しいとの願いを込めたねぶたである。
中国三国時代、蜀漢の武将である関羽は義に篤く、学問に長け、武勇に秀でており、身丈九尺、顎鬚二尺、鳳凰の眼に蚕のような眉と勇壮な人物であり、重さ八十二斤ある青龍偃月刀を自在に操ることもできた。かつて、劉備が曹操の攻撃を受け、袁紹を頼って落ちのびたとき、関羽は命ぜられていた下伾城を守るために捕らえられたが、曹操の手厚い礼遇を受けた。関羽は曹操軍の客将として出陣し、袁紹軍の将の顔良がんりょうを討ち曹操への恩に報いた後、劉備のもとへ帰り、以後数々の戦いや政務で活躍し劉備のために尽力した。最後は捕えられ処刑されてしまうが、劉備は関羽のために弔い合戦をし「義」を果たそうとするのである。
このような強い結びつきは、義兄弟の契りを結んだ桃園の誓いにあり、そこでは「心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」と誓いを立てている。「義」を果たそうとする関羽の行動は、志を同じうするものが集い、ひとのため地域のために行動し、明るい豊かな社会を実現しようとする青年会議所会員と同じである。
創立六十五周年という新たな節目となる今年度、改めて初心を忘れず活動し、地域社会の更なる発展へと繋げて欲しいとの願いを込めたねぶたである。
2016NTTグループねぶた
天岩戸伝説 北村春一先生
弟の荒ぶる神、須佐之男命の乱暴ぶりに耐えかね、太陽の神である天照大御神がその身を隠し、天上天下の光は消え災いに満ちた闇夜の世界が訪れた。
八百万の神々は天安河原に集まり、知恵の神、思金神の名案により天照大御神を天岩戸から呼び戻す作戦を立てることになる。
天細女命が踊り出すと神々は大笑いし、何事かと岩戸を少し開け外の様子を窺うと、布刀玉命が八咫鏡を差出す。
鏡に写る目映い光が自分の姿とも知らず身を乗り出した時、力自慢の天手力男神が入り口を塞いでいた岩の戸を投げ飛ばした。
こうして世界は光を取り戻し平和が訪れたのである。
神話の中で描かれている「天岩戸伝説」は、謎が多く諸説あるが、世の平和を望む人々の思いは古代も現代も同じである。

弟の荒ぶる神、須佐之男命の乱暴ぶりに耐えかね、太陽の神である天照大御神がその身を隠し、天上天下の光は消え災いに満ちた闇夜の世界が訪れた。
八百万の神々は天安河原に集まり、知恵の神、思金神の名案により天照大御神を天岩戸から呼び戻す作戦を立てることになる。
天細女命が踊り出すと神々は大笑いし、何事かと岩戸を少し開け外の様子を窺うと、布刀玉命が八咫鏡を差出す。
鏡に写る目映い光が自分の姿とも知らず身を乗り出した時、力自慢の天手力男神が入り口を塞いでいた岩の戸を投げ飛ばした。
こうして世界は光を取り戻し平和が訪れたのである。
神話の中で描かれている「天岩戸伝説」は、謎が多く諸説あるが、世の平和を望む人々の思いは古代も現代も同じである。
