スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016日本通運ねぶた実行委員会

茨木童子と渡辺綱   千葉 作龍 先生
 平安時代、魑魅魍魎の蠢く京の都。

 源頼光・四天王の一人 渡辺綱は羅生門に夜な夜な現れては人々を襲い恐れられていた茨木童子という鬼人の腕を切り落とした。

 綱は鬼人の崇りを鎮めるため七日間の物忌みをしていると伯母に化身した茨木が訪ね来て鬼人の腕を見せろとせがむ。しぶる綱であったが仕方なく腕を取り出すや否や茨木は突然正体を現し腕を奪い取る。

 綱は愛刀・髭切丸を抜き切りかかるも茨木は屋根の破風を蹴破って天空の彼方へ飛び去った。


2016日本通運
スポンサーサイト

2016マルハニチロ侫武多会

海神と山幸彦 手束茂樹 先生

兄の海幸彦(うみさちひこ)から借りた釣針を無くした弟の山幸彦(やまさちひこ)は、どうすることもできず困り果て、海岸に座り込んでいた。そこへ突如現れた塩椎神(しおつちのかみ)の教えにより、深海に住む大海の主、海神(わだつみ)の宮を訪ねた。
海神は大いに歓迎し、娘の豊玉毘売(とよたまひめ)と結婚させ、山幸彦も時を忘れて日々を楽しんだ。
数年後、深いため息と共に悩みを打ち明けた山幸彦を見た海神は、全ての魚達を集めて調べることにした。すると、長い間喉の痛みを訴えていた大鯛から、例の釣針が出て来たのである。
鰐鮫(わにざめ)に乗って地上へ帰る山幸彦に、海神は釣針と、潮の満干を司る霊力を持った『潮盈珠(しおみつたま)』と『潮乾珠(しおひるたま)』を授けた。
釣針を返しに兄のもとへ戻った山幸彦だが、海幸彦は素直に受け取らず争いになる。
山幸彦は海神から貰った珠の効力で降参させ、その後は助け合い仲良く暮らしたのであった。
生命の源である、広大な海。最近は環境汚染が進みさまざまな弊害も起こっている。
この状態が続けば、やがて我々は海神の怒りに触れるであろう。
美しい海を、地球を未来に残すため、これからも自然の大切さを考えていきたい。


2016マルハ

2016青森自衛隊ねぶた協賛会

大元帥明王  有賀 義弘 先生

 大元帥明王は古代インド神話に登場する鬼神アータヴィカに由来し、元は悪鬼神とされたが大日如来の功徳により善神へと変じた。 

 明王の最上尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「すべての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」といわれる。 

 怨敵調伏、必勝祈願、国家鎮護に絶大な功徳を持つと信じられ、宮中では古くから「大元帥法」という修法が行われていた。

 その力は護国防衛、敵国粉砕だけにとどまらず、反乱や疫病えの平定い、雨乞いや天候の変化にまで及ぶ。        
 また、陸海軍の最高位の称号をこの明王にならって「元帥」「大元帥」と呼ぶようになったともいわれている。
2016自衛隊

2016東北電力ねぶた愛好会

北方の王者 「藤原秀衡」 京野 和鴻 先生
 時は現在から900年程前の平安時代末期、藤原氏は、百年に渡って繁栄を極め、平泉(現在の岩手県奥州市)は平安京に次ぐ日本第二の都市となりました。

 藤原秀衡は、平泉文化を大きく華はなひらかせた人物で、清衡、基衡から受け継いだ平和な理想郷の意志と厚い信仰心を持ち、源平合戦の折には、平氏、後白河法皇、源氏のいずれにもつかず中立を保ち、陸奥(現在の青森、岩手、宮城、福島県)を守ってきました。

 しかし、平氏を滅ぼして勢力を拡大してきた鎌倉の源頼朝が陸奥を手中にしようと狙ってきましたが、藤原秀衡は源頼朝の命令を忠実に実行するものの、もはや鎌倉との衝突を避けられないと考え、兄 頼朝と対立して追われた源義経を頼朝との関係が悪化する事を覚悟で受け容れました。

 実質的な戦いには至らなかったものの、頼朝からの引渡要求を拒み続けた強い意志の持ち主であった、
北方の王者「藤原秀衡」をねぶたで再現したものです。

 この東北を守り続けた藤原秀衡の姿に、地域の復興・発展の思いを重ね合わせ、第49回目の出陣をいたします。


2016東北電力

2016ヤマト運輸ねぶた実行委員会

俵籐太と竜神  北村 隆 先生
 平安時代中期、瀬田の唐橋の下に棲む竜神は大百足に悩まされていた。

 そこへ通りかかった田原籐太秀郷の豪胆を見込みこんで百足退治たいじのため龍宮へ案内する。

 竜神に頼まれ三上山の大百足を退治した秀郷はお礼として慈尊出世を告げる名鐘と米の尽きることのない米俵や名剣を贈られた。こののち田原籐太は俵籐太といわれる。

 名鐘は三井寺へ納められ「三井の晩鐘」といわれ、名剣は「蜈蚣切」の名で宝刀として伊勢神宮に所蔵されている。

 いわゆる大人の龍宮伝である。

2016あおもり市民ねぶた実行委員会

陰陽師、妖怪退治 北村 麻子 先生
陰陽師 それはこの国の「守り人」とも言われている。
陰陽師とは、古代の日本に存在した呪術、占術「陰陽道」を用い、吉凶を占い幻を現し、時には呪いや鬼さいも操ったと言われています。
陰陽師が最も活躍したのが平安時代である。その平安時代は平安とはうらはらに闇と迷信が支配し、怪異や天変地異、物の怪や怨霊が世を乱すと思われていた。
人々は神、鬼、精を「もの」と呼び恐れ、「もの」は人に取り付き、ある時は疫病を流行らせた。
どこからともなく現れ、人々に不幸をもたらす妖怪変化。それらと戦い、あるいは前兆を読み、不浄を取り除くことが陰陽師の役割だった。
人々は彼らを畏怖の念をもって「陰陽師」と呼んだ。
このねぶたは、陰陽師が霊符を用い、魑魅魍魎を退治している場面である。

2016消防第二分団ねぶた会・アサヒビール

三国志・虎牢関「関羽と呂布」千葉 作龍 先生
二世紀末、中国後漢の代。

朝廷の腐敗により世は乱れ「黄巾の乱」が起る。

漢王朝の血を引く「劉備玄徳」は桃園で義兄弟の契りを交わした「関羽雲長」「張飛翼徳」と共に黄巾討伐の軍に加わる。

やがて平定されるも再び「董卓」の横暴により朝廷は乱れ董卓追討の命を受けた「曹操」らの軍に参戦した。

「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と謳われる董卓随一の臣「呂布奉先」。

豪雄「関羽」と名馬「赤兎」に跨またがる「呂布」との「虎牢関」での激戦である。


2016アサヒ

2016県庁ねぶた実行委員会

大物之浦  大白 我鴻 先生
 平家を滅ぼした後、兄の源頼朝と不仲になった源義経は、嫌疑を晴らすべく都落ちを決意し、西国へ向かう。

 摂津国尼崎大物浦から義経一行が船出すると、俄かに風が荒れ始め、壇ノ浦で滅ぼされた平家一門の怨霊たちが波間に現れ、一行の行く手を阻んだ。

 なかでも龍神を従えた平知盛の怨霊は、是が非でも義経を海に沈めようと、薙刀を振りかざして襲い掛かってくるが、弁慶が五大明王に祈ると怨霊は遠ざかり、波間に消えて失せていった。

2016県庁

2016青森県板金工業組合


匠の奇人 左 甚五郎   北村 蓮明 先生
左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、生き物を彫ればそれに魂が宿り、夜な夜な歩き出すと言われる程の名人である。
日光東照宮の『眠り猫』、見ざる言わざる聞かざるの『三猿』や成相寺の『真向の龍』など、数多くの彫刻を残している。

「左」姓を名乗ったのは、”左利きだった為”や”腕の良さを妬まれ右腕を切り落とされた為”などの説がある。

ねぶたは、主君の姫を匿っていたところ悪人に知られてしまうが、唐獅子と龍が動き出して悪人を追い散らかしたという場面。
2016板金

2016青森市PTA連合会

源三位頼政鵺退治  内山 龍星 先生 
平安末期、近衛天皇の住む御所に、夜ごと黒雲とともに不気味な鳴き声が響きわたり、帝を悩ませていた。

 そこで、弓の名手として名高い「源三位頼政」に勅命が下った。

 頼政は、先祖の「源 頼光」より受け継いだ弓を手に、二矢を持参し家来の「猪 早太」と妖怪退治へ向かった。

 真夜中、御所の上に黒雲がたなびき怪しげな妖怪がいる。

 頼政は弓矢を黒雲めがけて矢を射った、すかさず猪早太が落ちてきた妖怪にとどめを刺した。

 火を灯して見てみると、正体は頭が猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎の姿をした「鵺」であった。


2016PTA

2016日立連合ねぶた」委員会

忠臣蔵 北村 蓮明 先生
播磨の国赤穂の城主浅野内匠頭は、松の廊下で起おこした刃傷事件により、即日切腹。

そして浅野家のお取り潰しが決定した。

筆頭家老大石内蔵助は、大混乱に陥った藩内をまとめあげ、赤穂城を開城する。

その後、浅野家再興のために奔走するが、願いは叶わず、主君の無念を晴らすため、大石ら四十七人の同士は吉良上野介への仇討ちを決行するのである。

元禄十五年十二月十四日、前日から降り続いた大雪が止み、空には煌々と寒月が冴え渡っていた。

ねぶたは、意を決し討ち入りの太鼓をたたく大石 内蔵助と、吉良の家臣で、剣の鬼と呼ばれた清水一学の防戦の雄姿である。

2016日立

2016パナソニックねぶた会

怪力朝比奈、北条に挑む 北村 蓮明 先生
源頼朝の死後、妻政子この一族北条家が執権となり、すべての政を手中に収めていた。将軍をしのぐ勢力をもつ北条義時は、ことの責任を相手に負わせ、結果を自分の懐中に入れる北条流儀で、一緒に戦った仲間を次々滅ぼしていた。一方、将軍實朝に仕える和田義盛は、極めて信望の厚い、誠実無二の武人であった。
建保元年、北条氏の野心に業を煮やした義盛が乱を起こすや、三男朝比奈三郎義秀は、父と共に幕府と北条を襲ったのである。
鎌倉三代、幾十となく繰り返された合戦の中で和田義盛の人物像を反映してか、いかにも男らしい咲く花の散る合戦であったという。
怪力で知られる朝比奈が最も勇戦する「和田合戦」の一場面である。


2016パナソニック

2016私たちのねぶた自主制作実行委員会

船弁慶  私たち一同
 壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、兄頼朝に疎まれ追われる身となった源義経は、弁慶らと共に摂州大物浦から西国へと向かう。

 だが、海に出ると俄かに暗雲がたちこめ、海は荒れ、大波が逆巻き始める。

 その時、波間から平知盛の亡霊が、壇ノ浦で滅びたはずの平家一門の亡霊を引き連れて現れる。


2016私たち

2016ねぶた愛好会

素戔嗚尊 八岐大蛇退治  諏訪 慎 先生

 高天原で暴れすぎて追放された、孤独な若い素戔嗚尊すさのおのみことが出雲の国の肥の河の上流に向かっていくと、一軒の家があり、おじいさんとおばあさんが美しい娘を中に置き、泣き悲しんでいました。
 尊は「お前たちは何をそのように悲しんでいるのか」と尋ねると、おじいさんは「私には8人の娘がいましたが、八や岐またの大蛇おろちが毎年来て、生け贄として一人づつ喰ってしまいました。最後にのこったのが、この奇稲田姫です。今年もまた、来る時期になりました。この姫をさしださなければなりません。」と言いました。八岐大蛇について尋ねると「一つの胴体に八つの頭と尾をもち、目はホオズキのように真っ赤で、その長さは八つの谷と八つの尾根にまたがるほど巨大で、腹はいつも血でただれている」と言います。
 尊は娘を妻にもらうことを条件に八岐大蛇を退治する約束をしました。そして老夫婦に強い酒をつくり、八つの酒槽にわけて置くよう命じ、大蛇の現れるのを待ちました。やがて八岐大蛇が地響きを立てながらやって来て、その酒を一気に飲み干し、すっかり酔っぱらって寝込んでしまいました。そこに素戔嗚尊が踊り出て、酔いつぶれた大蛇をずたずたに切り刻むと肥の河は、真っ赤に染まったという出雲の国の神話です。


2016愛好会

2016に組・東芝

纏と唐獅子牡丹 北村 隆 先生 
地震とともに火事は最も恐ろしい災害である。

享保四年1719年 大岡越前守忠助の名により「いろは四十八組」制度ができた。

火事装束はまさに火消しの「勇み」「気負い」の象徴ともいい纏のもとに総力を結集して消火作業を行い纏が火を消したとまで言われた。

火事場に命を懸けた火消したちを描き「意気地と粋」の庶民文化を高らかに謳いあげたものであり、颯爽たる「男伊達」に象徴される。

のちに纏も悪霊や邪気を払うものとしてつかわれはじめた。

「百花の王」と言われる牡丹の下で身を守る唐獅子もまた「百獣の王」と言われており獅子頭には強い霊力があり悪い気を食べてくれるという。

纏と唐獅子 ふたつの邪気を払うという力を表現した。


2016に組

青森市役所ねぶた実行委員会

項羽の馬投げ  外崎 白鴻 先生
 項羽は、秦の始皇帝の死後、陳勝・呉広の乱が起こると 24歳で挙兵し、劉邦と共に秦の都を占拠し秦を滅亡させた英雄である。

 項羽はこの合戦において何万という秦兵の敵陣の中に馬を頭上高く持ち上げ、敵陣に投げ込み威嚇することにより、敵兵の志気を挫き勝利した逸話がある。
 このねぶたは、項羽が怪力をもって敵陣に馬を投げ飛ばした勇猛さを表したものである。

2016市役所

青森山田学園

樊城の戦い 北村 隆 先生
周倉は三国志に登場する武将で元 黄巾賊の大将で同僚の悲元紹らと臥が牛山で山賊をしていたが、関羽の戦いぶりに惚れ込み側近として仕える。龐徳は于禁の先鋒として樊城におもむいた。
龐徳は関平と打ち合いになったが勝負がつかず両者、陣に引き返す。
「樊城の戦い」である。
周倉は于禁率いる七軍を水計で壊滅させ、未だ抵抗し舟を奪って逃にげる龐徳を船をぶつけて転覆させ自身も水中に飛び込み格闘の末捕えることに成功する。
関羽に忠義をつくし従った武将の勇姿である。
2016山田

公益社団帆人 青森青年会議所

蜀漢 報恩鬼神  立田 龍宝 先生

 中国三国時代、蜀漢の武将である関羽は義に篤く、学問に長け、武勇に秀でており、身丈九尺、顎鬚二尺、鳳凰の眼に蚕のような眉と勇壮な人物であり、重さ八十二斤ある青龍偃月刀を自在に操ることもできた。かつて、劉備が曹操の攻撃を受け、袁紹を頼って落ちのびたとき、関羽は命ぜられていた下伾城を守るために捕らえられたが、曹操の手厚い礼遇を受けた。関羽は曹操軍の客将として出陣し、袁紹軍の将の顔良がんりょうを討ち曹操への恩に報いた後、劉備のもとへ帰り、以後数々の戦いや政務で活躍し劉備のために尽力した。最後は捕えられ処刑されてしまうが、劉備は関羽のために弔い合戦をし「義」を果たそうとするのである。



 このような強い結びつきは、義兄弟の契りを結んだ桃園の誓いにあり、そこでは「心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」と誓いを立てている。「義」を果たそうとする関羽の行動は、志を同じうするものが集い、ひとのため地域のために行動し、明るい豊かな社会を実現しようとする青年会議所会員と同じである。

 創立六十五周年という新たな節目となる今年度、改めて初心を忘れず活動し、地域社会の更なる発展へと繋げて欲しいとの願いを込めたねぶたである。

2016NTTグループねぶた

天岩戸伝説   北村春一先生
 弟の荒ぶる神、須佐之男命の乱暴ぶりに耐えかね、太陽の神である天照大御神がその身を隠し、天上天下の光は消え災いに満ちた闇夜の世界が訪れた。

 八百万の神々は天安河原に集まり、知恵の神、思金神の名案により天照大御神を天岩戸から呼び戻す作戦を立てることになる。

 天細女命が踊り出すと神々は大笑いし、何事かと岩戸を少し開け外の様子を窺うと、布刀玉命が八咫鏡を差出す。
 鏡に写る目映い光が自分の姿とも知らず身を乗り出した時、力自慢の天手力男神が入り口を塞いでいた岩の戸を投げ飛ばした。

 こうして世界は光を取り戻し平和が訪れたのである。

 神話の中で描かれている「天岩戸伝説」は、謎が多く諸説あるが、世の平和を望む人々の思いは古代も現代も同じである。


2016NTT

続きを読む

プロフィール

KITAYA 

Author:KITAYA 

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。