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サンロード青森
義と愛「直江兼続」 作:千葉作龍
戦国乱世の時代「直江山城守兼続」は名将「上杉謙信景虎」の養子「上杉景勝」に幼少の頃から仕えた上杉家の重臣である。
「織田信長」の死後、「豊臣秀吉」と同盟し朝鮮出兵の巧により米沢三十万石の領主となった。
しかしその秀吉も病死、やがて天下は「徳川家康」に傾いていた。
上杉の力を恐れる家康の天下取りの策略に「直江状」を送るなど、「石田三成」に対し「義」を貫き、天下分け目の関ヶ原の戦では、西軍として隣国「最上義光」と「北の関ヶ原」を戦った。
しかし、三成は敗れ景勝は米沢三十万石に減封される。
その後、兼続は質素な生活に身を置きながらも、軍備のほか領民の為に尽力、農業、土木事業などにも力を入れ、上杉家への「愛」を貫いたという。
このねぶたの場面は、「愛染明王」の加護のもと、「越後の龍」と称された上杉謙信の化身に見守られ、「義と愛」をもって戦う文武両道の智将「直江山城守兼続」の勇姿である。
※よげ しゃべり
愛の文字がトレードマークとなった 直江兼続。今まで 直江兼続を 題材にしたねぶたは 記憶にない。ねぶたは 愛の文字が ひときわ目をひく 兜を中心に 越後の龍の見守られながら 指揮をとる直江兼続の勇姿を 表現している。
パナソニックねぶた会古事記「素戔鳴」 作:千葉作龍
古事記によれば日本は高天原を統治する「伊耶那岐」「伊耶那美」の二神から創生され「大八州(おおやしま)」と呼ばれた。
その左眼から「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」そして鼻からは「素戔鳴尊(すさのをのみこと)」が生まれたという。
素戔鳴は生来の暴れ者で姉の天照を度々困らせ、ついに天照は天の岩屋戸に隠れてしまい日本は真暗闇になってしまった。
やがて素戔鳴は高天原を追われ地上に降り、出雲の地で「八岐の大蛇(やまたのおろち)」を退治したという。(ねぶたの場面)
その尾から出た「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」は後に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が草を薙ぎって火難を逃れたことから「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれ天皇の三種の神器の一つとなった。
今、この暗い世相を薙ぎ払い、岩戸景気の復活を共に願いたいものである。
※よげ しゃべり
素戔鳴尊の大蛇退治を題材にして作られたねぶたは多い。ねぶたの各賞を 受賞したのも 多い。
田村麻呂賞
昭和53年 青森市職員互助会 穐本 無生 作
知事賞
昭和47年 日本通運 佐藤 伝蔵 作
平成4年 日本通運ねぶた実行委員会 福井 祥司 作
商工会議所会頭賞
平成2年 に組 東芝 白鳥 芳生 作
千葉先生が 大蛇退治を題材にしたのは はじめてだと思う(多分)。ねぶたは 大蛇に剣をかざし 退治しようとする場面を 表現している。
今年の手がける3台の中で 構図が 一番 いいと思う。(個人的)
消防第二分団ねぶた会・アサヒビール
三国志「赤壁」 作:千葉 作龍
後漢の代、二世紀末から三世紀初頭の中国は黄巾党の乱に端を発し戦国乱世の状況であった。
各地で覇権をかけて群雄割拠し中でも曹操・孫堅の二人は二大勢力を築きあげていった。
漢王朝の流れを汲む劉備玄徳も又、「三顧の礼」で迎えた諸葛亮孔明の説く「天下三分の計」に感じ入りやがて「蜀」を建国、「魏」の曹操、「呉」の孫権と共に三国時代を迎えるのである。
野望に燃える曹操は「呉」「蜀」を脅かしついに長江「赤壁」で激突した。
曹操軍八十万、二千隻の大船団、一方劉備・孫権の連合軍わずか五万。
しかし軍師「孔明」は東南の風を呼び起こし「火攻の計」で見事勝利したという。
ねぶたは曹操と蜀の英雄・関羽の対決の場面である。
※よげ しゃべり
今 話題の三国志を テーマにしたねぶた。直江兼続も そうだが 関心が 高い物を 題材にしている。関心が 高い分 ねぶた作りには かなりプレッシャーが かかるのと思う。ねぶたは 船上での戦を 表現している。
まだ 映画のレッドクリフを全然見ていないので ねぶたまでは 1作目は 鑑賞したい。