気になる ねぶた
青森山田学園
忠臣 児島高徳とはんれい
ちゅうしん こじまたかのり と はんれい 作/北村 隆
児島高徳は隠岐へ流される途中の五醍醐天皇を奪回しようと、その後を追ったが果たせず、そばにあった桜の木へ「てんこうせんをむなしゅうなかれときにははんれいなきにしもあらず」 (天は古代中国の越王・勾践に対するように決して帝をお見捨てになりません。きっと はんれいのごとき忠臣が現れ必ずや帝をお助けするでしょう)と記し、その意志と共に天皇を勇気づけたという。
これは昔中国の春秋時代に越の国王勾践が、忠臣はんれいらの努力によって呉を破り、ふたたび越の国威を輝かせることが故事にちなみ、いつか天皇の御運の開けるときが来ることを申し上げたものである。
はんれいは政治家であり軍人であり大商人の代名詞として日本でも有名な名臣である。日本人の心の原点なのかもしれない。
天皇陛下在位20年と青森山田学園創立90年を祝してこのねぶたを贈る。

ヤマト運輸ねぶた実行委員会
花和尚・魯智深
か おしょう ・ ろちしん 作/北村 隆
魯智深は梁山泊第十三位、アダ名を花和尚(いれずみ坊主)という。
身の丈八尺大男で力持ち、林ちゅうとは義兄弟である。林ちゅうは無実の罪で流刑となるが、二人の護送役は高大尉に林ちゅうの暗殺を頼まれる。魯智深はそれを知りあとを付ける。二人の役人はいきなり棍棒を振りかざして林ちゅうに襲いかかった。そこへ鉄の錫杖がうなりをたてて飛んできた。林ちゅうは「この二人を殺してはいけない」という。そこで魯智深は「おい、お前達の頭はこの松とどっちが固い?」と聞き錫杖を振り回して松の木をうった。すると、ただの一打で錫杖は幹の中に二寸ほどめりこみ、松の木はポッキと折れた。ガムシャラで一身の損得などはすこしも考えず、豪快で涙もろくユーモラス。乱暴者だが単純善良。いつでも、どこでも愛される永遠のヒーローである。

日立連合ねぶた委員会
菅原道真 雷神と化す
すがわら らいじん と かす 作/北村蓮明
菅原の道真は、そのずばぬけた学才によって宇多天皇の信頼を得て右大臣にまでなった。
その破格の出世が反感をかい、醍醐天皇と左大臣、藤原時平らの策略により太宰府に左遷され、その2年後に無念の思いを残しつつ亡くなった。
道真の死後、京都では天変地異が続くようになり人々は道真の怨霊が雷神になったと噂し、その雷神は、遂に清涼殿の時平を襲った。
その後、朝廷は神社を建てて道真の霊を鎮め、天満天神の号をおくり大宰府天満宮、北野天満宮など学問の神様として庶民の信仰を集めるようになった。
「東風吹かば にほおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れこそ」
道真の愛した梅が一夜にして京都から大宰府に飛んで来たと言う飛び梅伝説は有名である。

JRねぶた実行委員会
将門の心霊 瀧夜叉を救う
まさかど の しんれい たきやしゃ を すくう 作/竹浪 比呂央
平 将門の遺児・瀧夜叉姫は、父の意思を継いで天下を狙い、相馬の古御所の徒党を集めていた。この噂を聞きつけた、大宅太郎光圀が瀧夜叉姫を襲わんとやって来た。姫は妖術を駆使して。迫力の大髑髏を出現させるが、勇士・光圀は泰然とそて驚く気配もない。
この時、姫 瀧夜叉を救うべく青紫の炎の中から古御簾の影に将門の神霊が現れた。
(山東 京 伝作・善知鳥安方 忠 義伝より)
平安中期に活躍した武将・平 将門。その反骨精神は、関東の民衆の共感を呼び、英雄として崇められた。
現在は、神田神社に祀られ除災・厄所の神として信仰を集めている。

青森県板金工業組合
風雪、吉野山の決戦
ふうせつ よしのやま の けっせん 作/北村蓮明
頼朝の追討を受ける身となった義経は、わずかな兵と共に、辛うじて吉野山に逃れることになった。
山は まだ冬。
しかし、吉野の大衆に攻め込まれ危機に瀕したとき、側近佐藤忠信は、義経の身代わりとなって戦い、主君の一行を落ち延びさせたのである。
ねぶたは、風雪の吉野山中で義経の鎧甲で身を固めた忠信と、僧兵の大将横河覚範との一騎討ちの場面である。
