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謹賀新年

新年 あけまして
       おめでとうございます


  本年も相変わらずご交誼の程
       偏にお願い申し上げます

         平成30年 元旦


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に組・東芝

空飛ぶ権現様と火消
                   北村 隆 先生

獅子舞の頭をもっと大きくし、頭の後ろに大きな布をつけその中に大人の人が何人か入って、おおきな口をパクパクさせながら練り歩くのが権現様である。
権現様は人々を病気や災難から救ってくれる神様である。
むかし、上北地方横浜の吹越村のお宮に、大きくてりっぱな権現様が祀られていた。
この吹越の権現様は、火事から村を守ってくれるという話であった。
火事があると、この権現様は空を飛んで火事場へ行き、火を消し止めるという。
そして吹越の権現様が火事を消しているところを見たという人が何人もいたという。
横浜に伝わる空飛ぶ権現様の話である。
火事の多かった江戸時代中期に町火消しが制度化され江戸の火消しの中核を担うようになっていった。町火消しの伊達男は羨望の的であった。
それが現代の消防の始まりである。
すべてを焼き尽くしてしまう火事は今も昔も大変な災難であることに変わりはありません。
糸魚川大規模火災にあわれた皆様には心からお見舞い申し上げます。


に組・東芝

青森山田学園

金神長五郎 仁王と相撲をとる
                              北村 隆 名人
長五郎は武蔵国の生まれで、ある時、小鳥を取りに山中に入ると廃墟となった寺があったので覗いてみたところ、何とその中には仁王や金剛神といった、神仏の姿をした妖怪たちが蠢いていた。

そこで長五郎は、やにわに着物を脱ぎ捨てて妖怪の中に飛び込み金剛神の妖怪へと組み付き、これを投げ飛ばしたところ、それに恐れをなしたのか、残る妖怪ともども姿を消してしまった。

これ以降、長五郎は「金神」という渾名をつけられたという。
山田学園

よげ しゃべり
北村 隆 名人 3台製作した ねぶた で 賞をとれなかったのが 山田学園のねぶた。
常に 入賞してた団体だが 近年 賞から 遠ざかっている。
今年こそと 作成にも 力がはいったのではと 思われた。
今年の名人の ねぶた の中では 個人的には 一番。
見栄を切る姿 入れ墨など 素晴らしいと 感じた。
右手の手のひらが鹿内名人の様に 力強くなって 一つ目小僧が いなくなって 仁王の面が 見えたら・・・・。 

青森県板金工業組合

青峰山の牛鬼
             北村 蓮明 先生
香川の五色台の青峰に、その昔、牛鬼という怪物が棲んでいた。
頭の上に牛のような角が生え、耳まで裂けた口には大きな牙と鋭い歯が並び、こうもりのような羽根を広げて自由に飛び回る奇怪な化け物で、人や家畜を襲い村人たちを苦しめていた。

牛鬼退治を依頼された弓の名人、山田蔵人高清は山中をくまなく探し回ったが発見できない。

困り果て、青峰の名刹根香寺に詣で、ご本尊の千手観音に祈願を続けると、満願の日の暁に、ついに牛鬼が現われ、高清に襲いかかってきた。

これこそ観音さまのお導きと、念じながら弓を射ると矢は見事に急所に命中、牛鬼を退治することができたのである。

(四国巡礼第八十二番札所、青峰山根香寺に伝わる伝説)
青森県板金工業組合

ねぶた愛好会

中国、三国時代の豪勇、張飛は、桃園の誓い以来、関羽とともに劉備のもとでたたかう。馬超は漢中の張魯のもとに身を寄せていた。その頃、蜀の劉璋は劉備に攻められ、張魯に援軍を求めてきた。馬超が蜀の援軍として名乗りをあげ、戦場に駆けつけた。

馬超は「この馬超に恐れをなしたか」とののしった。その挑発に、張飛はがまんできず飛び出し、とうとう一騎打ちになった。二人の戦いは、まさに雲を呼び風を起こす竜虎の戦いであった。両軍はかたずをのんでなりゆきを見守ったが、二人の勝負はいっこうにつかず、日が沈んでも勝負はつかなかった。

張飛は「暗くては一騎打ちもできまい。この続きは明日まであずけた。」と言うが、馬超はかがり火をたかせて、あくまでも勝負をいどむ。かがり火の中で二人は戦いつづけた。とうとう劉備が中に入り、戦いは引き分けに終わった。

このねぶたは、三国志勇者たちの血闘の名場面である。
ねぶた愛好会

公益社団法人 青森青年会議所

忠魂勇往 毛受勝照
                   作: 立田 龍宝 先生

毛受勝照は、安土桃山時代織田信長の筆頭家老、柴田勝家に仕えていた武将である。信長が本能寺の変で憤死したのち、柴田勝家と羽柴秀吉の両者は、信長の跡を継いで天下を取るべく賤ヶ岳にて合戦となった。最初は柴田陣営が優勢に戦を運んでいたが、羽柴陣営が徐々に盛り返し、次第に柴田陣営の敗色が濃厚になると、大将である勝家は形勢逆転の一手として自らが軍を率いて最後の決戦を挑もうとした。

その時、毛受勝照は主君の柴田勝家に対し「一旦退いて再び陣を立て直しましょう」と進言するやいなや、勝家軍の象徴である金色の馬印(騎標)を背負って自らが楯となり殿を務めて敵を引き付け、自身の討ち死にと引き代えに見事勝家を戦場から脱出させた。この主君を想う行動は柴田陣営、羽柴陣営両軍からの称賛を受けた。

運行五十回目という節目となる今年度は、先人たちの築き上げてきた誇りと伝統を胸に、率先して行動する英知と勇気と情熱に溢れた若人が、まちのため、ひとのためにどんな困難をも恐れず突き進んで行くという断固たる決意を込めたねぶたである。
青森青年会議所

日立連合ねぶた委員会

吹越村の火消し権現
                       作 北村 蓮明 先生


昔、上北地方の吹越村のお宮に、大きな立派な権現さまが祭られていた。
火事があると空を飛んで火事場へ行いき、大きな布を羽たかせて、火を消し止めるのだという。
ある祭の夜、田名部の三郎はお宮から、こっそり権現さまを盗み出していた。
高い値で売りさばこうと小舟に積み込み函館を目指していると、突然空がまっ暗になり、大粒の雨が音をたてて降り始め海は大荒。
慌てた三郎は権現さまの布の端をぎっしりつかんで離さない。
権現さまは三郎をぶら下げたまま、ものすごい勢いで嵐の空へ舞い上がったのである。
横浜村の近くへ来ると大きく宙返りをし、海のそばの大きな岩にふわりと下りると疲れた体を休めるように動かなくなった。
この時から吹越の権現さまは横浜村の八幡様に納められ、この村を火事から守っているという。
権現さまは現在も横浜町の八幡神社に祀られている。
日立連合ねぶた委員会

消防第二分団ねぶた会・アサヒビール

布引の滝 悪源太義平
制作者:立田 龍宝 先生

源 義平は源 頼朝の兄で、武名の誉れの高い豪勇であることから「鎌倉の悪源太」と呼ばれる

騙し討ちされた父義朝の無念をはらすため、京の都で平 清盛の命を狙うが、逆に捕らえられ介錯人の難波恒房を睨むと「雷になって汝をけり殺さん」と言い残し斬首されてしまうのである。
仁安二年七月七日、清盛一行が摂津国の名瀑布引の滝に詣でたところ、一天にわかに曇り、雷神となった悪源太義平が恒房を打ち殺しに現れる。
京の都にも六波羅にも雷が落ち、多くの人々が命を失い、清盛は大般若経を僧に読経させ、義平の霊を鎮魂したのである。
消防第二分団・アサヒビール
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